Heron Prog Vol.1

2006-06-11

Heron Prog vol.1 Report

2006年5月28日、イタリア、ノヴァラ市内の特設野外会場でのフェスティバルの模様

Il Castello di Atlante

Vinyl Magicが90年代に開始したNew Italian Progressiveの代表格としてデビューしたカステロは、今回の主催者で通産6枚目のアルバムを会場で発表していた。74年に18歳前後で結成してからしぶとく活動している。メンバーは、2004年発表のCD「QUINTESSENZA」から変化はない。

それでライブなんですが、いや、その、見ることはおろか聴いてませんでした。運営上の都合で、なんと、5時ごろにサウンドチェックの直後に2曲演奏したのが本番だったとは。なんでもメンバーの一人がオーケストラの仕事でライブの直後に、ノヴァラを発たなければならなかったのだけど、設営やサウンドチェックなど全てが(イタリアの常で)遅れたためにそうなったそうな。本番っぽいMCがあったので、アストゥーリアスの面々には「なーに、イタリアではかっこつけてMCのリハまでやるらしいよ」としたり顔で説明して恥をかいてしまった。公演の自然の中で空を見上げて寝ている時に演奏していた2曲は、彼ららしい美しいメロディーとたたみかけるようなイタリアンロックの典型的な構成を持った、いい曲でした。

Calliope

カステロと同様に、Vinyl MagicのNew Italian ProgressiveAsturiasの代表格だったバンド。Vinyl Magicの後は2002年にBeppeのElectromanticレーベルから今のところの最新作「GENERAZIONI 」をリリースしていて、このあたりもカステロに似ている。両バンドともBeppe子飼いなのだろう。つまりは、このフェス自体がBeppeの地域でBeppeの師弟が身内を集めて開催しているようにも見える。

さて、このCalliope、1999年にもライブを見ているのだが、メンバーの出入りが多くて、サウンドも頻繁に変っているようだ。4枚リリースしているCDのうち、ファーストとセカンドは脱退したキーボード奏者主体の突っ走り型イタリアンロック、サードとフォースは地中海音楽。しかし、直前のサウンドチェックから続いて当日演奏されたのはRUSHかと思うような、イタリア的要素はかなり少ないハードプログレ。年間10回ライブ出演しているというだけあって、技術やアンサンブルはなかなかいい。現在はサードから参加しているキーボード奏者Enrico Perrucciがリーダーで、フォースアルバムに参加しているメンバーでさえ、残っているのは彼だけになってしまっている。1時間ほど演奏。

アストゥーリアス

タイムスケジュールが大幅に狂い、サウンドチェックはやはり本番直前になる。ちょっと音を出してすぐ本番。8時半ごろでやっと夕闇迫る会場でのスタートとなった。演奏開始間際に、藤本美樹が忘れ物を取りに楽屋に引っ込む。これで皆さん緊張が取れてリラックスして始められたようだ。1時間の演奏中に、公演の奥の森の中で談話していた人たちが集まってきてだんだん会場が埋まってくる。やはり、「邂逅」や「Birds Eye Vew」の評判がよく、拍手が多い。最後にはアンコールを受けて、ツアー最終日を無事に終えたのでした。終演後には、参加全バンド、特にメキシコで同じ舞台に立って以来のアルティーの面々が賞賛しに来ていた。

Arti e Mestieri

トリは地元の英雄アルティ。セットリストは来日時と同じだったそうだが、相変わらず圧倒的な迫力で一曲目から飛ばしまくる。アルティ観戦6回目となるぼくは、今回は広い会場のいろいろなアングルで見て回ったのだが、やはり関係者特権でバックステージエリアに入り、ドカドカ打っているキリコの真後ろから見たときがもっとも凄かった。ちなみに、英語だと無口なキリコでもイタリア語では結構MCで話していた。ベッペはメロトロンや古いオルガンは持ち込まず、デジタルキーボード類を並べている。地元なので自分の機材だろうから、これが本来のライブセットなのかも。アルティは今年初ライブだそうで、イタリアでも資金面、運営面などでアルティのライブはそう簡単に運営できないのかもしれないことをうかがわせた。二時間たっぷり演奏して、終演時には真夜中を過ぎていた。街中から程近いのに、午前1時まで音だしがOKとのこと。このあたりはラテン圏内に共通していて、宵っ張りで、音楽に対しては理解がある。

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Heron Prog概要

北イタリア、ノヴァラで2006年6月2日に開催されたHeron Prog vol.1にはつぎのバンドが出演した。

会場はミラノから電車で40分ほどの近郊にあるノヴァラ市の、市の中心から800mほどの街外れにある公園に設営されたオープンエアフェスティバルだった。ノヴァラは日本の観光案内にはほとんど登場しないが、名所がそこそこあり、ロマンチックな街並みがきれいに整備されている心地よい街だった。会場は丘の上の教会と自然に囲まれた広い公演の一角に大きなステージを設営して、1万人クラスの観客が収容できる広大なもの。

Heron Progは、一ヶ月続く市の祭りであるGiovani Espressioni(英語ではYoung Expressions)の一環として祭りの初日に開催された。Giovani Espressioniそのものは、我々も出演したプロによる公演と、アマのコンテストから成り立っているという。フェスティバルは毎日無料で開催され、我々が帰国してこれを書いている時点でもまだ続いているはずだ。フェスが大きすぎるのか、運営が雑なのか、開催3日前にオープンした(!)今年のGiovani EspressionのサイトのどこにHeron Progが掲載されているのかいまだに発見できていない。もっともHeron Progに関する、案内、レポートはイタリア語のサイトに随分掲載されているので、興味のある方は検索してみてください。

この街を挙げてのお祭りに、なんでプログレでなんでアストゥーリアスか、というと、どうやらそれは全てIl Castello di AtlanteのリーダーPaoloの手腕であるらしい。2005年にメキシコで出会った2つのバンド、アストゥーリアスとカステロが、お互いのライブを地元でサポートし合おうと話し合った時に、カステロがいろいろ画策して、アストゥーリアスのためにお客を集めてギャラも出せる方法として、地元のフェスティバルに組み込んだのだ。だからHeron Progは、アストゥーリアスのために生まれたイベントともいえる。Heron Progに予算が付いていて、今回のツアーでは一番多い固定ギャラがもらえた。ヨーロッパの自治体は地域振興のためにこうしたことに予算を付ける。Paoloの本職は銀行員で、ノヴァラ市の自治体にも顔がきくようだが、ほかの地域の例では、街で旗振り役の若いのに、予算を付けている例も結構見聞きする。Paoloは、せっかくはじめたのだからと、Heron Progを続ける意向で、つぎは予算次第だがPFMを呼びたい、と言っていた。

Heron Progのマネジメントは、事実上Paolo一人で切り盛りしていた。アストゥーリアスの他は地元のバンドだし(トリノまで電車で90分の距離)、ステージ設営や運営はプロを雇っていたので、それでもぜんぜん問題なかった。Novara駅への出迎え、見送り、ホテルや食事の世話、ギャラの支払いなど全部Paoloがやっていた。第1回だとこういうものだ。

ちなみにグレート・ケイオスの国イタリアでは、日本人の感覚でものごとを捉えることは不可能に近い(というか他のヨーロッパ人とも合わないようだ)。今回のイタリア公演でも、連絡はこないわ、直前にキャンセルはあるわ、でアストゥーリアスの面々はさぞかし気を揉んだことと思う。そもそもイタリア人は「ぎりぎりまで準備しないで、直前になってあわててばたばた動いて、なんとかしてしまう」という技を駆使するので、二ヶ月前には準備万端という我々からすると、直前の事態の急展開に驚かされることばかりだが、それでもローマで暖かく迎えられたり、ノヴァラの大会場にびっくりしたり、といいほうに転ぶことも結構ある。

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